摩耶山史跡公園です

          

目次

人が少ない摩耶山 掬星台

昨日は、摩耶山に行ってきました。

昨日の摩耶山は先週に比べて人がほとんどいませんでした。

掬星台には、ぱっと見た限りでは10人以下くらいしか居なかった感じです。

      


寂しい感じの掬星台です。

天気予報は曇りでしたから、観光客もハイカーもほとんで来てませんでした。

        


休憩所にも人がいませんでした。

           

摩耶山からの下りに行ってきました。

摩耶山の旧天上寺跡である摩耶山史跡公園についてご紹介します。

                 

山頂から摩耶山史跡公園

摩耶山掬星台から約100m、市ヶ原(天狗道)の方向に行ったところに

上野道、青谷道に続く道の入り口に下の看板があります。


その看板です。

       

摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)

について、神戸市の看板より

**********************************

摩耶山(702m)は、古来山岳信仰の場所であり、大化2年(西暦646年)、

孝徳天皇の勅願を受け、インド高僧法道仙人により仏教寺院が開創されました。

その後大同年間(西暦806~810年)、弘法大師空海によって、摩耶夫人像

(お釈迦様の生母)が奉安され、伽藍(がらん)が造営されました。

これが摩耶山忉利(とうり)天上寺です。

 長い歴史の中で、観音霊場や安産祈願の寺として信仰され、最盛期には

多くの塔頭、僧侶を抱えた摂津地方第一の大寺だったと伝えられています。

表参道である上野道や青谷道、また兵庫方面の人は布引の東から山に入り

天上寺に参りました。

 昭和51年1月30日、天上寺は炎上、主要建造物のほとんどを焼失しました。

その後、寺は、開創地と伝えられる元摩耶(ここより北へ約600m)

移転し再建されました。

          

伽藍・・・僧侶が集まり修行する清浄な場所という意味

**********************************

         


上の画像の左側のアップです。

          

        

暫く下ると、何か見えてきました。

         


三権現社跡です。

白山権現、熊野権現、愛宕権現の三権現を祀ったお堂です。

       

また、暫く下ると、摩耶山史跡公園に到着しました。

           


摩耶山史跡公園の入り口です。

昨年の秋の台風21号で倒れました。

樹齢100年以上のマザーツリーと呼ばれる巨木の一つです。

幹周り445cm、高さ25mの杉で、3本に別れた幹が親子のように見える

ため親子杉と呼ばれていました。

         


本堂跡です。

約13m四方の荘厳なお堂、本堂である。

十一面観音が安置されていました。

         


摩耶夫人堂跡です。

お釈迦様の生母である摩耶夫人を本尊とするお堂です。

                


           



以前は龍がついており、その口から流水する手水鉢であったとの事です。

         


摩耶山史跡公園からの見晴らしです。

残念ながら、今日は曇ってます。

また少し下ります。

       

摩耶山の大杉

      


参道に道標があり右手に50m入った

ところに大杉があります。

幹周り約8mで、昭和51年の火災の影響で枯れてしまったと書いてました。

          

仁王門

暫く下りると、門が見えてきました。        


仁王門です。

くぐってみました。

      


仁王門です。

昭和51年の消失を免れ、唯一往時を

偲ばせる住建物です。

仁王像(二体)は新天上寺に移されました。

           

         

摩耶山史跡公園周辺の案内は

以上です。

        

         

ご覧いただき、ありがとうございまた。                  

それでは、失礼します。

       

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です